不登校になるまでを自分の口から語ります!④





誰も信頼できなくなった


見て見ぬ振り


はぶかれた時に、顧問の先生は見ていました。

私には気づいていたものの何もしてくれませんでした。

多分、これは、はぶかれてないんだろうなくらいに思っていたと思います。

1度もバスケが苦痛なんて思ったこともなかったし、バスケをしていたら時間が早く経つのに、その日の練習は10倍、いや、100倍長く感じました。その後の事は何も覚えていません。

母に相談したのかな?親友に話したのかな?


あることないことを広められる


それから、私のチームメイトは各自、親にもちろん話すわけであることないことを広められ、私の話は一切聞かず自分の子供の話を鵜呑みにする。

我が子はもちろんみんな1番だよ。でも私の話も聞いてよ。
しかもありえない話がどんどん広まっていっていました。

それでも私は学校・部活へいっていました。
バスケがやりたかったから泣


不登校に


 


しかし、6月頃だんだん行かなくなり、体調を壊し不登校になりました。

私はこの時本当に学校に行きたくなかったから、口に体温計入れてまで熱あるという嘘を親についていました。私はほんとにたった1回やんちゃをしてしまった。

本当に反省してるしキャプテンとしてやり直そうとしていました。
部活も停止になってないし迷惑なんてかけてない。

これは私自身の問題です。そんな中、待っていたのはいじめでした。

そして、私は引退試合にも行けず。最後の試合も、もちろん行って両親を感動させたかったです。それも叶いませんでした。


気になる顧問やコーチのこと


私はこの時、助けてくれなかったけど、どうしても顧問の事が気になってしまいました。

なぜなら、ずっと一緒にバスケというスポーツをやっていたから。

顧問とかコーチは私と一緒の方向に、勝利という同じ方向に向かっていたと思っていたから。
顧問はこの頃10kgも痩せていたそうです。

私は自分のせいでとずっと自分を責めていました。

さらにこの時期に私の中学の担任が休職。さらに2人の教師が休職。

計3人もの先生が同時に休職。いや学校になにか問題があるとしか思えんくなってくるわ。

そして不登校になってから担任が変わっても学校側は1度も連絡もしてこなかったにも関わらず、私の母は学校に行き、先生や主任、校長とかと話したりしに学校に毎日のように行ってくれていました。←私より学校に行っているw

が、話していくうちに母も感情的になったらしく、「教育委員会に連絡します」と言ったら… 

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最後に〜必ず読んでほしい


こんなにも明るく書いていますが、過去は辛かったです。

「自分のせいじゃん」と思う方もいるかもしれませんが、それがいじめていい理由にはなりません。

そして、「不登校は逃げだ」「ズル休みだ」など思う人や、直接言ってくる方も大勢います。

不登校は逃げでもないし、ズルでもありません。

ただ「学校に行かない選択をした。」それだけのことです。

いじめは人の心に大きな傷をつけるのです。


以上、お読みいただきありがとうございました。

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